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城紀行より [城・館・チャシ・グスク]

 明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。

 お城に興味を持ってから約50年、全国のお城を色々訪れましたが、
昭和30年代はお城の本も少なく、あっても江戸時代以前に廃城とな
った城について書かれている本は殆どなかったし、殆どの方々が城
なんかという気持のゆとりもありませんでした。

 当時は天守閣は観光目的での復興でした。今日から3日間は当時
の今では笑い話になるようなお話です。
 これはフィクションではありません、ですから全てその当時あった建
物そして名前もそのままでかきます。
 

宇都宮城址(うつのみやじょうし)ーーー宇都宮女子(うつのみやじょし)

 このタイトルでおわかりになったとおもいます。
 ここからはその時の城紀行よりの抜粋です。
「昭和39(1964)年4月29日(昭和天皇誕生日で祝日(47年前の事です))
 今日はつり天井で有名な宇都宮城址を攻略することにした。
 宇都宮駅で下車、駅の構内の観光案内所での若いお嬢さんとの会話
「宇都宮城址にいくには何行きのバスでどこで降りればいいのですか」
「宇都宮女子ですか、OO行きで宇都宮女子で降りたら目の前です」
 さすが栃木県の県庁所在地、城址前にバスを停めるとはと思いなが
ら車掌さん(当時はワンマンではなく必ず車掌がいてお織りの方いらっ
しゃいませんかと聞いていた)が「次は宇都宮女子」といったので手を
上げ知らせ、下車した。
 降りた目の前は学校だった、付近を歩いてみたがそれらしいところ
は見当たらない。今日は祝日学校は休み歩いている人などいない、
しかたがないので、バス停に誰かくるのをまった。

 小一時間くらい待ったであろうとき、年配の女性の方がきたので、
「すみません、宇都宮城址はどこですか」「この学校が宇都宮女子高
等学校ですよ」「え ! 学校ではなく宇都宮城址です」「だからここが
宇都宮女子ですよ」 
 ここで初めて気が付きました。当時宇都宮城址(うつのみやじょうし)
なんぞ聞く人はいません。だから宇都宮城址(うつのみやじょうし)では
なく宇都宮女子(うつのみやじょし)と勝手な解釈をされてしまったよう
です。
 そこでその女性に「ここから城跡(しろあと)まで歩いていけますか」
「なれない人ではまた間違ってしまうから、もう一度駅までいって++
行きのバスでOOで降りたらいい」と教わり駅まで逆戻りして城跡に
着いたのは、午後2時を回っていた。
 しかし、ひどい、土塁が僅かに残っているのと、堀?らしきものが、
これもわずかに残っているのみだった。」


  これ以来城址(じょうし)という言葉を使うのをやめた、それからは
城跡(しろあと)というようにした。



 このように50年近く城跡を回っていると、面白いこと・笑っちゃう
こと色々あります。
 明日は恥ずかしかった明石城のお話です。

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