SSブログ

天守のお話 [城・館・チャシ・グスク]

 天守はお城を代表する象徴的な建造物です、ですから城=天守と思われがちですが、
城の中で天守のあった城は1%にも満たない数です、現在は町のシンボルとしての天守が
増えてきました。

天守の文字が文書に見られるようになったのは、「細川両家記」(1550天文12年)の中に
天守と言う文字が見られます、「遺老物語」では殿主、、「松屋筆記」には天主という文字
がみられます。
 しかし多くの書に安土城の天守が最初だと書かれてます、何故はっきりしないのかは
その古文書の裏づけとなる文書や発掘調査でも裏づけがとれていないので、否定も
肯定もされていません。
 このような覚える必要も調べる必要もないので、省きますというより、この時代の書の
解読が出来ないというのが本音です。


 天守を建てた目的・要素はなんなんだろうか。

1. 主殿の建築の中心に望楼があって、重層となった殿主建築の発達。

2. 眺望性と装飾を兼ねた楼閣建築の発達。

3.守城の時における戦闘上の必要性から構築された井楼櫓、矢倉の建築。

4. 城主の権力の象徴、相手への威嚇。

などがあります。秀吉の時代領主はこぞって天守を建てましたのですが、家康の時代に
なって、一国一城令のため支城の天守は取り壊されましたし、天守の再建はあまりない
ようでした。
 しかし明治維新によって破壊された天守、空襲、落雷、地震、火事などで消えた
天守がほとんどで、明治政府は明治6年に「廃城令」を布告しましたが、陸軍省の
管轄の城はその限りでないとのため、二条城、大坂城、津城、名古屋城、彦根城、
姫路城、岡山城、広島城、丸亀城、熊本城、首里城は陸軍省の管轄のため保存
されましたが、その他の城は売却・払い下げで廃城処分されました。
昭和の大東亜戦争のときもこれらの城は大本営になりました。今でもその名残が
広島城の大本営跡や新発田城の自衛隊の駐屯地です。
現在国宝の城は姫路城、松本城、犬山城、彦根城、松江城と二条城ですが、二条城
には天守がありません、国宝は二ノ丸御殿です。
このように天守がないのに、国宝とお思いでしょうが、戦前の国宝は25城ありました。
が、仙台城や、金沢城は天守がないのに国宝に指定されています、今回は天守なので、
国宝とは別にしています。

、昭和25年ころは江戸時代の1/10までになりました。

昭和30年代になり第一次お城ブームで復興、模擬を含めて90くらいの天守が建てられ
ました。

 天守ですが、戦前までは天守としか呼ばれていませんでしたが、いつの間にか
天守閣とよばれています。
 では閣とは二層(二重)以上の建物、お寺などに使われている、金閣寺、銀閣寺なと゛
とあります、なので天守も閣といえます、しかしお寺は2階だと閣ですが、塔の場合は
五重塔、三重等といいます。 江お城も昭和のころまでは、五層七階、四層四階と層で
呼ばれてましたが、今は塔と同じで五重七階、四重四階と変りました。
 お城の場合、外観の屋根の数で重を表しますが、内部は外から見えない隠し階
があります、これも戦略的に敵を欺くものです。

 天守は昔の書によりますと、天守、天主、殿守、殿主と書かれています。

天守の種類と言うと望楼型、層塔型などと形態ちがうものを言うのですが、
「現存天守、復元天守、復興天守、模擬天守、観光用天守に分類されます。

現存天守

 維新前から現存している天守で修理にも文化庁の許可が必要です
現在は12城あります。
現存天守.jpg
現存の天守はすべて国宝か国重要文化財です、一昨年松江城の天守も子ひくほうに
なりました。



復元天守

 復元と言うことは史実に基づき史実の通りに再現したものです、木造復元とか外観復元
とか言っている方がいらっしゃいますが、史実に忠実でないものは復元ではありません。
ただし現在の建築法で出来ない場合はやもうえませんが、注記が必要ではないでしょうか。

復元天守.jpg



外観復興

 位置、規模は史実とほぼ同等で、内外間が史実と異なる姿で再建されたものを言う。
指図、資料が完全でないものも或る。

復興天守.jpg




模擬天守

 位置、気穂、外観、天守の有無にかかわらず、資料もなく、推定で建てられた天守。
あいまいなところが多いので、模擬か観光かの区別が難しい天守もある。

模擬天守.jpg



観光用天守 (観光・天守風・怪しい天守・天守もどき・おかしな天守、等)

 城跡でもなく、観光目的のためにたてられた天守。
ここに載せていませんが、民間のお店、焼肉屋さん、すし屋さん、そば屋さん、
お菓子屋さん、など等全国で数百軒ありますが、面白いかもしれませんが、
天守と関係がないので、省きました。

観光天守1.jpg
観光天守2.jpg

 ここに載せた天守は151城です、今から5~60年前読売新聞にあまり観光目的で
城跡に建てないように書いたのですが、変りませんでした。しかし、現在廃墟となって
いる城、取り壊されてしまった天守、などかなりあります。
 昭和35年頃安土町が文部省(当時は文化庁はなかった)に天守を再建したいと
打診したところ、史蹟を破壊することはまかりならぬと却下されました、たまたま
城跡が国有地だったためですが、史蹟は国民の財産です、ですすが、民有地の
場合は仕方がないのかもしれません。

 現在、名古屋城や小田原城で天守の復元を計画されています。

また、文化庁からお叱りを受けた自治体があります、
長崎県のある町の町長さんお花見のため城跡を破壊し元の状態に戻すよう
言われました。

和歌山城では石垣の横での出店をやめるよう注意されました。

熊本城では地震前矢継ぎ早の再建に、文化庁から調査、計画はもっと
時間をかけてやるよう警告をうけました。

次回は当時文部省にストップをかけられてしまった。「安土城」の50年前の
お話です。




 
 
nice!(56)  コメント(1) 
共通テーマ:ニュース

nice! 56

コメント 1

U3

なるほど!
by U3 (2018-05-03 17:19) 

一昔前のお城の姿 350年前の安土城 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。