小田原城 [城・館・チャシ・グスク]
前回の展示会のお知らせで、この小田原城で下記の「よみがえる
小田原城」をやっているとお知らせしましたが、今日はこの小田原城
の近況と、50年前の小田原城をみてください。
この展示会の2fで大名駕籠が展示されていました、このカゴを
見て昔展示されていたカゴと同じものだろうかとおもったのが、
きっかけですが、昔は大名カゴ、小田原提灯、礎石?は撮影可
でしたが、今は撮影禁止です。なので、写真で比較は出来ませ
んが、以前と比べてだいぶ痛んでいるように思えました。
今回は「よみがえる小田原城」を見に行くためだけだったので、
天守閣への最短コースでいきました。JRに沿って北口からの
入城です、すると道に沿って本丸口まで御用米曲輪跡の発掘
現場がみられます。正規なルートだと馬出曲輪から天守に向か
うのでたぶん見ることができません。
これが幸いしたのか、御用米曲輪の発掘現場を見ることが出来
ました、ここは昨年のはじめ、発掘調査のため駐車場だったのが
閉鎖されて止められませんとお城のニュースでお知らせしました。
御用米曲輪跡の発掘現場です。
50年前と今とを比較する場所は本丸の天守閣下と常盤木門跡が
はっきりわかりますが、あとはわかりにくいので古い写真を見て下
さい。
「城紀行」より
1963年10月6日 晴れ AM 11:30~PM 2:30
「・・・。この城いまでは公園となり、動物園、遊園地、学校、グランド、
市庁舎などがあり、お城の存在は天守、隅櫓、水堀、石垣、がある
が、これらは観光のために、かろうじて残っていると言うかんじだ、
天守で展示されているものは、ほとんどが、江戸時代のもので、
文書等々はほとんどが大久保家に関するものばかり、後は大名
カゴ、小田原提灯、と礎石?で、北条関係のものがみあたらない。
・・・。この後石垣山一夜城へ向かう」
とあります。
左が50年前当時は天守台のところまで車で行くことができました。
右は2008年頃の写真です。本丸には車で入れません。
左は復元前の常盤木門石垣で、右は復元された常盤木門です。
左は常盤木門跡碑で、右は常盤木門碑です
現在の常盤木門枡形です。
現在のパンフレットです
4~5年前に北条早雲の展示があったときの虎の印判ですが、
ピンクとウグイス色の印の違いがありますが、書かれてある
説明は同じ文句です。
この時、ジュンクワさんにおききしょうとおもいましたが、お休み
だったので聞けませんでした。
これは50年前に頂いた、パンフレットというより小冊子です、
昭和36年8月28日発行
編集と発行 小田原市役所天守閣管理事務所
とかかれてあります。これには、北条時代の小田原城についても
書かれてあります。
左が比較したかった大名カコと小田原提灯で
右は何の石だか覚えていません説明文は小さくてよめません。
これから下は当時の写真ですが、今との違いは当時は鬱蒼
としていましたが、今は伐採されて、すっきりとしています。
右側の塀ですが、どこだかわかりません、フィルム番号からだと
隅櫓に近い場所ですが、見つけることが出来ませんでした。
これは当時駅ビルの二階の食堂から撮ったもので、現在駅の
改札口が二階ですが、ここからは、ビルに隠れてお城は見えま
せん。
次回は1月の展示会のお知らせです。
小田原城」をやっているとお知らせしましたが、今日はこの小田原城
の近況と、50年前の小田原城をみてください。
この展示会の2fで大名駕籠が展示されていました、このカゴを
見て昔展示されていたカゴと同じものだろうかとおもったのが、
きっかけですが、昔は大名カゴ、小田原提灯、礎石?は撮影可
でしたが、今は撮影禁止です。なので、写真で比較は出来ませ
んが、以前と比べてだいぶ痛んでいるように思えました。
今回は「よみがえる小田原城」を見に行くためだけだったので、
天守閣への最短コースでいきました。JRに沿って北口からの
入城です、すると道に沿って本丸口まで御用米曲輪跡の発掘
現場がみられます。正規なルートだと馬出曲輪から天守に向か
うのでたぶん見ることができません。
これが幸いしたのか、御用米曲輪の発掘現場を見ることが出来
ました、ここは昨年のはじめ、発掘調査のため駐車場だったのが
閉鎖されて止められませんとお城のニュースでお知らせしました。
御用米曲輪跡の発掘現場です。
50年前と今とを比較する場所は本丸の天守閣下と常盤木門跡が
はっきりわかりますが、あとはわかりにくいので古い写真を見て下
さい。
「城紀行」より
1963年10月6日 晴れ AM 11:30~PM 2:30
「・・・。この城いまでは公園となり、動物園、遊園地、学校、グランド、
市庁舎などがあり、お城の存在は天守、隅櫓、水堀、石垣、がある
が、これらは観光のために、かろうじて残っていると言うかんじだ、
天守で展示されているものは、ほとんどが、江戸時代のもので、
文書等々はほとんどが大久保家に関するものばかり、後は大名
カゴ、小田原提灯、と礎石?で、北条関係のものがみあたらない。
・・・。この後石垣山一夜城へ向かう」
とあります。
左が50年前当時は天守台のところまで車で行くことができました。
右は2008年頃の写真です。本丸には車で入れません。
左は復元前の常盤木門石垣で、右は復元された常盤木門です。
左は常盤木門跡碑で、右は常盤木門碑です
現在の常盤木門枡形です。
現在のパンフレットです
4~5年前に北条早雲の展示があったときの虎の印判ですが、
ピンクとウグイス色の印の違いがありますが、書かれてある
説明は同じ文句です。
この時、ジュンクワさんにおききしょうとおもいましたが、お休み
だったので聞けませんでした。
これは50年前に頂いた、パンフレットというより小冊子です、
昭和36年8月28日発行
編集と発行 小田原市役所天守閣管理事務所
とかかれてあります。これには、北条時代の小田原城についても
書かれてあります。
左が比較したかった大名カコと小田原提灯で
右は何の石だか覚えていません説明文は小さくてよめません。
これから下は当時の写真ですが、今との違いは当時は鬱蒼
としていましたが、今は伐採されて、すっきりとしています。
右側の塀ですが、どこだかわかりません、フィルム番号からだと
隅櫓に近い場所ですが、見つけることが出来ませんでした。
これは当時駅ビルの二階の食堂から撮ったもので、現在駅の
改札口が二階ですが、ここからは、ビルに隠れてお城は見えま
せん。
次回は1月の展示会のお知らせです。
半世紀前の資料、写真は貴重ですね。
官兵衛さんは膨大な資料を所蔵してらっしゃるんでしょうね。
by johncomeback (2013-12-06 14:40)
子供の頃、小田原城のどこかに動物がいて(ヤギとかウサギだったかなあ・・・
そこで遊んだ記憶があるのですが記憶が曖昧です^^;
by ちょいのり (2013-12-07 02:35)
johncomebackさん お早うございます。
昭和30年代は当時わかっている城を、5~600城訪れましたが、
当時は、フィルムもカメラ店でしか買えずまた、当時は手巻きでした
が巻き忘れのため、二重、三重撮りしたり、強引に巻いてパーにした
ために、写真のない城もかなりあります。
また、保管が不備のためいたんでしまっているものや、カラーの写真で、フィルムがケースの紙とひっついてしまい、見ることが出来ない
写真が9本(約300枚)あります。
最近少しづつですが、整理をはじめましたが、まだデジタル化していないフィルムが100本以上あります。
by 官兵衛 (2013-12-07 09:18)
ちょいのりさん お早うございます。
そうです、有名なのは象の花子がいました。また、遊園地には
子供電車が天守のうしろを走ってました。
本丸にも、鳥や小動物の金網の小屋もありました。
by 官兵衛 (2013-12-07 09:24)
1963年とは、とても貴重な資料ですね。
自宅を博物館にされてはいかがでしょうか(^^;)
by momiji (2013-12-10 23:44)
momijiさん こんにちは。
多趣味なだけで、どれ一つ素人の域を出ているものはありません。
少しづつ整理をしているのですが、中々進みません、本は歴史
の本などを全部で250冊くらい処分しました。
電気・機械などの工学書しぜんぶ後輩に貰ってもらいました。それでも
城の本が300冊以上これの処分をどうすればいいか迷っています。
この本がなくなったらなんだか自分の存在もなくなってしまうようで、
中々手放しきらずにいます。
by 官兵衛 (2013-12-11 13:41)
今回のオフ会は残念でなりません。
お会いできるチャンスだったのになあ~^^;
御心付けありがとうございます。
大変恐縮です。
by ちょいのり (2013-12-12 03:04)
ちょいのりさん お早うございます。
自分も皆様にお会いしたかった気持ちと、この老いぼれの姿を
お見せしたくない気持ちとあのます。
今度お会いするまでに、体調を整えたいとおもいます。
お礼を言われるとかえって恐縮します。
by 官兵衛 (2013-12-13 09:54)