仇討ち [城・館・チャシ・グスク]
またまた脱線です。
皆様は赤穂浪士の討ち入りを「仇討ち」とお考えでしょうか。一般的に三大仇討ちと言うと
1.曾我兄弟の仇討ち
2.伊賀越えの仇討ち(鍵屋の辻の決闘)
3.赤穂浪士の討ち入り
と言われていますが、何故赤穂浪士だけは討ち入りなんでしょうか。
仇討ちまたは敵討ち
自分の主君・父などを殺害されたものが仕返しに殺すこと。敵討ち
主君・親兄弟などの殺されたものを討ち取って恨みを晴らすこと、江戸時代は公認
されていました。
とあります、赤穂浪士は仇討ちでしょうか、浅野は吉良によって殺されたのでしょうか。
逆ですね、浅野は加害者で吉良は被害者ですねー、これは仇討ちでなくて、逆恨み
ですね。
本当は「浄瑠璃坂の仇討ち」が三大仇討ちにはいるのではないでしょうか。
赤穂浪士の討ち入りはこの浄瑠璃坂の仇討ちを真似したものでは?。
忠臣蔵は吉良を悪者にした物語ですから、面白いのです、真実は面白くないので、
話題になりにくいので、資料ではさらっとしか書かれてありません。
ことの起こりは江戸ではなく、宇都宮で起きました。寛文8(1668)年2月29日に宇都宮藩
12万石の藩主・奥平美作守忠昌が死亡しその葬儀が3月2日に城下興禅寺でおこなわれ
ました。
ここで、奥平家五老の一人奥平内蔵允別名(黒屋家)と奥平家七族の奥平隼人、別名
(中金家)がささいなこてから口論となり、内蔵允が抜刀して隼人に斬りかかりましたが、
隼人に逆に斬りつけられ怪我を負ってしまいました。
居合わせた人々によってこの場は納まりましてそれぞれの親戚宅に預かりの身と
なりましたが、内蔵允はその日のうちに切腹しました。
藩の処分は半年ほど経った9月2日に下されました。隼人は改易、内蔵允の嫡子・
源八、ならびに内蔵允の従弟・伝蔵正長へは家禄没収の上、追放が申し渡されました。
ここで両者には多きな違いがあった、喧嘩両成敗なら隼人は切腹となるはずなのに、
源八たちには即日退去を命じながら、隼人とその父半斎には物々しい護衛をつけて
送りだしました。
ここまでが、事件の発端と処分です。
この不公平な処分に、追放された源八に同情するものが続出し、仇討ちを誓った。
追放からまもなく、幕府から咎められた奥平家は2万石減らされて山形へ転封に
なり、ここで隼人の弟・主馬允は討ち取られました。
源八一党からの襲撃をと隼人は江戸市谷浄瑠璃坂の鷹匠頭・戸田七之助の屋敷に
身を寄せました。
寛文12(1672)年2月3日の明け方,源八ら42名が黒の火消装束で隼人が潜む戸田
屋敷へ討ち入りしましたが、隼人は不在で、隼人の父・半斎を討ち取り引き上げる途中
隼人が手勢を引き連れてきましたが、牛込御門前で隼人の首級を討ち取りました。
これが「浄瑠璃坂の仇討ち」ですが、この後のことについて、源八は隼人の首を父の
眠る宇都宮の興禅寺へと出かけましたが、幕府からの出頭命令を聞き、首は若党に
託しし、奥平源八、奥平伝蔵、夏目外記の三名は老中井伊直澄の屋敷に出頭し、伊豆
大島へ遠島に処せられますが、6年後天樹院(千姫)の十三回忌の法要で赦免され戻った
源八は彦根藩に召抱えられました。これは、初めに自首したときの源八の態度に井伊掃部頭
が感動したためと言われてます。
下は寛永江戸図です、次のは拡大したもので、一番下は現在の市谷付近です。
赤枠の文字がが浄瑠璃坂ですが戸田と言う名はありません、
その上に荘内坂し言うところに戸田邸がありますが、七之助ではなく庄右エ門です。
戸田は鷹匠頭なので浄瑠璃坂の右のほうに鷹匠町と言う地名があるのでこちらでも
戸田家を見つけることが出来ませんてした。
現在、碑・説明板があります。
資料が少ないので中には間違った資料を引用しているかもしれませんが・・・。
これらの資料は全て「江戸城」の資料を集めていて引っかかったものです、その中で
城の資料でないもので、でも気になるものを時々のせます。
赤穂浪士の討ち入りでもそうでしたが、ここでも気になることがあります。
1.奥平藩の沙汰が何故半年もかかったのか。
2. 喧嘩両成敗ではなかったのか。
3. 両家改易なのに、隼人の弟はは藩に残れたのか。
4. 討ち入り時(午前4時)こんな時間何所へいっていたのか、引き上げた後に帰って゜
くるとは間がよすぎる。
5. 戸田屋敷で十数名、追っかけてきたのも二十名と、そんなに大勢戸田家にかくま
ってもらえたのか。(戸田家は鷹匠です、武士ではありません。)
調べていると脱線が長くなるので。
その後34年後の元禄15(1702)年12月15日の同時刻ころ゛本所松阪町で赤穂浪士
による討ち入りがありました。
このときの装束も黒の火消し装束でした。それで、赤穂浪士の討ち入りはこの浄瑠璃
坂の仇討ちを真似したのではないかと言われています。
皆様は赤穂浪士の討ち入りを「仇討ち」とお考えでしょうか。一般的に三大仇討ちと言うと
1.曾我兄弟の仇討ち
2.伊賀越えの仇討ち(鍵屋の辻の決闘)
3.赤穂浪士の討ち入り
と言われていますが、何故赤穂浪士だけは討ち入りなんでしょうか。
仇討ちまたは敵討ち
自分の主君・父などを殺害されたものが仕返しに殺すこと。敵討ち
主君・親兄弟などの殺されたものを討ち取って恨みを晴らすこと、江戸時代は公認
されていました。
とあります、赤穂浪士は仇討ちでしょうか、浅野は吉良によって殺されたのでしょうか。
逆ですね、浅野は加害者で吉良は被害者ですねー、これは仇討ちでなくて、逆恨み
ですね。
本当は「浄瑠璃坂の仇討ち」が三大仇討ちにはいるのではないでしょうか。
赤穂浪士の討ち入りはこの浄瑠璃坂の仇討ちを真似したものでは?。
忠臣蔵は吉良を悪者にした物語ですから、面白いのです、真実は面白くないので、
話題になりにくいので、資料ではさらっとしか書かれてありません。
ことの起こりは江戸ではなく、宇都宮で起きました。寛文8(1668)年2月29日に宇都宮藩
12万石の藩主・奥平美作守忠昌が死亡しその葬儀が3月2日に城下興禅寺でおこなわれ
ました。
ここで、奥平家五老の一人奥平内蔵允別名(黒屋家)と奥平家七族の奥平隼人、別名
(中金家)がささいなこてから口論となり、内蔵允が抜刀して隼人に斬りかかりましたが、
隼人に逆に斬りつけられ怪我を負ってしまいました。
居合わせた人々によってこの場は納まりましてそれぞれの親戚宅に預かりの身と
なりましたが、内蔵允はその日のうちに切腹しました。
藩の処分は半年ほど経った9月2日に下されました。隼人は改易、内蔵允の嫡子・
源八、ならびに内蔵允の従弟・伝蔵正長へは家禄没収の上、追放が申し渡されました。
ここで両者には多きな違いがあった、喧嘩両成敗なら隼人は切腹となるはずなのに、
源八たちには即日退去を命じながら、隼人とその父半斎には物々しい護衛をつけて
送りだしました。
ここまでが、事件の発端と処分です。
この不公平な処分に、追放された源八に同情するものが続出し、仇討ちを誓った。
追放からまもなく、幕府から咎められた奥平家は2万石減らされて山形へ転封に
なり、ここで隼人の弟・主馬允は討ち取られました。
源八一党からの襲撃をと隼人は江戸市谷浄瑠璃坂の鷹匠頭・戸田七之助の屋敷に
身を寄せました。
寛文12(1672)年2月3日の明け方,源八ら42名が黒の火消装束で隼人が潜む戸田
屋敷へ討ち入りしましたが、隼人は不在で、隼人の父・半斎を討ち取り引き上げる途中
隼人が手勢を引き連れてきましたが、牛込御門前で隼人の首級を討ち取りました。
これが「浄瑠璃坂の仇討ち」ですが、この後のことについて、源八は隼人の首を父の
眠る宇都宮の興禅寺へと出かけましたが、幕府からの出頭命令を聞き、首は若党に
託しし、奥平源八、奥平伝蔵、夏目外記の三名は老中井伊直澄の屋敷に出頭し、伊豆
大島へ遠島に処せられますが、6年後天樹院(千姫)の十三回忌の法要で赦免され戻った
源八は彦根藩に召抱えられました。これは、初めに自首したときの源八の態度に井伊掃部頭
が感動したためと言われてます。
下は寛永江戸図です、次のは拡大したもので、一番下は現在の市谷付近です。
赤枠の文字がが浄瑠璃坂ですが戸田と言う名はありません、
その上に荘内坂し言うところに戸田邸がありますが、七之助ではなく庄右エ門です。
戸田は鷹匠頭なので浄瑠璃坂の右のほうに鷹匠町と言う地名があるのでこちらでも
戸田家を見つけることが出来ませんてした。
現在、碑・説明板があります。
資料が少ないので中には間違った資料を引用しているかもしれませんが・・・。
これらの資料は全て「江戸城」の資料を集めていて引っかかったものです、その中で
城の資料でないもので、でも気になるものを時々のせます。
赤穂浪士の討ち入りでもそうでしたが、ここでも気になることがあります。
1.奥平藩の沙汰が何故半年もかかったのか。
2. 喧嘩両成敗ではなかったのか。
3. 両家改易なのに、隼人の弟はは藩に残れたのか。
4. 討ち入り時(午前4時)こんな時間何所へいっていたのか、引き上げた後に帰って゜
くるとは間がよすぎる。
5. 戸田屋敷で十数名、追っかけてきたのも二十名と、そんなに大勢戸田家にかくま
ってもらえたのか。(戸田家は鷹匠です、武士ではありません。)
調べていると脱線が長くなるので。
その後34年後の元禄15(1702)年12月15日の同時刻ころ゛本所松阪町で赤穂浪士
による討ち入りがありました。
このときの装束も黒の火消し装束でした。それで、赤穂浪士の討ち入りはこの浄瑠璃
坂の仇討ちを真似したのではないかと言われています。
刃傷 3 [城・館・チャシ・グスク]
江戸城について調べている中での脱線です。
前回の刃傷 2では忠臣蔵物語になってしまいましたが、松の廊下の刃傷と吉良邸
襲撃は赤穂浪士事件なので二つの事件を引っ付けたのを一つの事件のように書き
ましたが、この二つの事件は別々の事件として書かれてあります。
今日は第二の「松の廊下刃傷事件」を取り上げてみました。
この「松の廊下刃傷事件」は浅野x吉良の事件後24年に起きています。
享保10(1725)年7月28日、この日は大名が登城する月次御礼の日で、この御礼が
始まる前この松の廊下で松本藩主の水野忠恒が清末藩世子毛利師就に斬りかかり
ました、突然に斬りつけられた師就は鞘ごと脇差で忠恒の手を打って脇差を落とし
ました。
場所や位置については下の図を見て下さい。
中庭をはさんで反対側の柳之間にいてこの刃傷を目撃した目付の長田元隣が
駆けつけ師就を組み止め、忠恒のそばにいた、大垣新田藩主戸田氏房が忠恒を
組み止めました。
氏房は6月に帰国した兄大垣藩主の氏長の名代として無兄の養女と結婚した忠恒と
ともに将軍吉宗に婚姻の許しを謝して退出したところでした。
目付長田元隣が両者に問い質したところ忠恒が所領を召し上げられそれを師就に
賜ると聞いて憤りを抑えきれずと、事実でないことを述べたため、老中に報告して、
忠恒の乱心と判断され、忠恒は川越藩主秋元喬房に御預けとなり、喬房の屋敷で御沙汰
を待つことになった。
毛利師就はお咎め無しとされましたが、疵を負っていたため番医2人が付き添って
下城しました。
世子師就の登城は4月に国許に下向した藩主毛利匡広の名代だった。
その日のうちに水野家の改易が決まり、上使大田資晴が大目付、目付とともに
水野家上屋敷に向かい、家来に改易を伝え、江戸屋敷を直ちに明け渡すよう申し渡した。
翌29日目付、酒井忠衍改易となっている、前日氏房が忠恒を取り押さえるのを見て
いながら属吏を呼ぶと称してその場を離れ戻ってこなかった。
翌8月27日に新たな御沙汰があり、改易、預けとなっていた忠恒に子どもがないことから
叔父忠穀を養子とし、忠恒は忠穀のもとで蟄居となりました。
これには被害者の毛利藩からの働きかけがあったようです。
下は江戸城本丸の松の廊下跡です。
ここでもおかしいと思われることがあります。
1. 松の廊下で忠恒が脇差を抜いたとき忠恒の横に居た氏房が何故とめなかったのか。
2. 忠恒は何故切腹でなかったのか。
3. 被害者の毛利は忠恒の赦免を願い出たのか。
4. 改易後に何故旗本として生き残ったのか。
前回の刃傷 2では忠臣蔵物語になってしまいましたが、松の廊下の刃傷と吉良邸
襲撃は赤穂浪士事件なので二つの事件を引っ付けたのを一つの事件のように書き
ましたが、この二つの事件は別々の事件として書かれてあります。
今日は第二の「松の廊下刃傷事件」を取り上げてみました。
この「松の廊下刃傷事件」は浅野x吉良の事件後24年に起きています。
享保10(1725)年7月28日、この日は大名が登城する月次御礼の日で、この御礼が
始まる前この松の廊下で松本藩主の水野忠恒が清末藩世子毛利師就に斬りかかり
ました、突然に斬りつけられた師就は鞘ごと脇差で忠恒の手を打って脇差を落とし
ました。
場所や位置については下の図を見て下さい。
中庭をはさんで反対側の柳之間にいてこの刃傷を目撃した目付の長田元隣が
駆けつけ師就を組み止め、忠恒のそばにいた、大垣新田藩主戸田氏房が忠恒を
組み止めました。
氏房は6月に帰国した兄大垣藩主の氏長の名代として無兄の養女と結婚した忠恒と
ともに将軍吉宗に婚姻の許しを謝して退出したところでした。
目付長田元隣が両者に問い質したところ忠恒が所領を召し上げられそれを師就に
賜ると聞いて憤りを抑えきれずと、事実でないことを述べたため、老中に報告して、
忠恒の乱心と判断され、忠恒は川越藩主秋元喬房に御預けとなり、喬房の屋敷で御沙汰
を待つことになった。
毛利師就はお咎め無しとされましたが、疵を負っていたため番医2人が付き添って
下城しました。
世子師就の登城は4月に国許に下向した藩主毛利匡広の名代だった。
その日のうちに水野家の改易が決まり、上使大田資晴が大目付、目付とともに
水野家上屋敷に向かい、家来に改易を伝え、江戸屋敷を直ちに明け渡すよう申し渡した。
翌29日目付、酒井忠衍改易となっている、前日氏房が忠恒を取り押さえるのを見て
いながら属吏を呼ぶと称してその場を離れ戻ってこなかった。
翌8月27日に新たな御沙汰があり、改易、預けとなっていた忠恒に子どもがないことから
叔父忠穀を養子とし、忠恒は忠穀のもとで蟄居となりました。
これには被害者の毛利藩からの働きかけがあったようです。
下は江戸城本丸の松の廊下跡です。
ここでもおかしいと思われることがあります。
1. 松の廊下で忠恒が脇差を抜いたとき忠恒の横に居た氏房が何故とめなかったのか。
2. 忠恒は何故切腹でなかったのか。
3. 被害者の毛利は忠恒の赦免を願い出たのか。
4. 改易後に何故旗本として生き残ったのか。
展示会のお知らせ 24 [城・館・チャシ・グスク]
これで9月源のお知らせは終わりですが、開催前の期日のものにつていは、中々資料が
集まりませんのですが、夏休みに関するものにつていは、おもったより集まりました。
特別展
「夏休み自由研究のたね」
場所 東村山ふるさと歴史館
期日 7月22日~8月27日
企画展
「大とじょう展」
場所 琵琶湖博物館
期日 7月15日~9月3日
トピック展
「榎本武揚ー小樽に賭けたテクノクラート」
場所 小樽総合博物館
期日 6月24日~9月21日
企画展
「変る東京」
場所 東京都公文書館
期日 7月25日~9月22日
企画展
「アルチンボルド展」
場所 国立西洋美術館
期日 6月20日~9月24日
「北斎の富士」
場所 和泉久保惣記念美術館
期日 8月5日~9月24日
巡回展
「長野県の遺跡発掘2017」
場所 安曇野市豊科郷土博物館
期日 8月26日~9月24日
企画展
「沼津の学校」
場所 沼津市明治史料館
期日 7月22日~9月24日
「長谷寺の仏教美術の至宝Ⅱ」
場所 長谷寺
期日 7月14日~9月24日
企画展
「おもちゃを愛でる」
場所 調布市郷土博物館
期日 7月8日~9月24日
特別展
「マンガで描いた抑留・引揚げのガマン」
場所 平和祈念展示展示資料館
期日 6月27日~9月24日
企画展
「タイ・山の民を訪ねて1969~1974}
場所 横浜ユーラシア文化館
期日 7月15日~9月24日
特別展
「小田原城武者揃え~戦いの時代の装い~」
場所 小田原城
期日 7月8日~9月24日
特別展
「プレイボール ! ー北海道と野球をめぐる物語」
場所 北海道博物館
期日 7月8日~9月24日
「山小屋にみる富士山信仰」
場所 ふじさんミュージアム
期日 6月21日~9月24日
特別展
「山岳画家武井真澂」
場所 松本市立博物館
期日 7月15日~9月24日
特別展
「新選組義に生きる ! ! 」
場所 霊山歴史館
期日 7月11日~9月24日
「アフリカへのまなざし」
場所 中泊町博物館
期日 7月22日~9月24日
特別展
「開国への潮流ー開港前夜の兵庫と神戸」
場所 神戸市立博物館
期日 8月5日~9月24日
「奈良西大寺展」
場所 あべのハルカス美術館
期日 期日 7月29日~9月24日
「楽焼って何だろう」
場所 楽美術館
期日 7月11日~9月24日
特別展
「イラストレーションかつやまの近代」
場所 ゆめおーれ勝山
期日 6月17日~9月24日
パネル展
「カスリーン台風から70年」
場所 関宿城博物館
期日 7月4日~9月28日
「熱き男たちによるドローイング」
場所 BBプラザ美術館
期日 7月4日~9月28日
「城の自由研究コンテスト」
応保期間 8月1日~9月30日
日本城郭協会
応募用紙は下記をクリックして下さい
集まりませんのですが、夏休みに関するものにつていは、おもったより集まりました。
特別展
「夏休み自由研究のたね」
場所 東村山ふるさと歴史館
期日 7月22日~8月27日
企画展
「大とじょう展」
場所 琵琶湖博物館
期日 7月15日~9月3日
トピック展
「榎本武揚ー小樽に賭けたテクノクラート」
場所 小樽総合博物館
期日 6月24日~9月21日
企画展
「変る東京」
場所 東京都公文書館
期日 7月25日~9月22日
企画展
「アルチンボルド展」
場所 国立西洋美術館
期日 6月20日~9月24日
「北斎の富士」
場所 和泉久保惣記念美術館
期日 8月5日~9月24日
巡回展
「長野県の遺跡発掘2017」
場所 安曇野市豊科郷土博物館
期日 8月26日~9月24日
企画展
「沼津の学校」
場所 沼津市明治史料館
期日 7月22日~9月24日
「長谷寺の仏教美術の至宝Ⅱ」
場所 長谷寺
期日 7月14日~9月24日
企画展
「おもちゃを愛でる」
場所 調布市郷土博物館
期日 7月8日~9月24日
特別展
「マンガで描いた抑留・引揚げのガマン」
場所 平和祈念展示展示資料館
期日 6月27日~9月24日
企画展
「タイ・山の民を訪ねて1969~1974}
場所 横浜ユーラシア文化館
期日 7月15日~9月24日
特別展
「小田原城武者揃え~戦いの時代の装い~」
場所 小田原城
期日 7月8日~9月24日
特別展
「プレイボール ! ー北海道と野球をめぐる物語」
場所 北海道博物館
期日 7月8日~9月24日
「山小屋にみる富士山信仰」
場所 ふじさんミュージアム
期日 6月21日~9月24日
特別展
「山岳画家武井真澂」
場所 松本市立博物館
期日 7月15日~9月24日
特別展
「新選組義に生きる ! ! 」
場所 霊山歴史館
期日 7月11日~9月24日
「アフリカへのまなざし」
場所 中泊町博物館
期日 7月22日~9月24日
特別展
「開国への潮流ー開港前夜の兵庫と神戸」
場所 神戸市立博物館
期日 8月5日~9月24日
「奈良西大寺展」
場所 あべのハルカス美術館
期日 期日 7月29日~9月24日
「楽焼って何だろう」
場所 楽美術館
期日 7月11日~9月24日
特別展
「イラストレーションかつやまの近代」
場所 ゆめおーれ勝山
期日 6月17日~9月24日
パネル展
「カスリーン台風から70年」
場所 関宿城博物館
期日 7月4日~9月28日
「熱き男たちによるドローイング」
場所 BBプラザ美術館
期日 7月4日~9月28日
「城の自由研究コンテスト」
応保期間 8月1日~9月30日
日本城郭協会
応募用紙は下記をクリックして下さい
展示会のお知らせ 23 [城・館・チャシ・グスク]
9月限の展示の続きです。
「植物を見つめて~多摩市の植物友の会35年のあゆみ~」
場所 パルテノン多摩
期日 7月15日~9月27日
「本物の世界を探検しよう ! 」
場所 リニア鉄道館
期日 6月10日~9月11日
募集
「わたしの漱石、わたしの一行」
募集期間 6月26日~9月15日
オープン
9月24日
新宿区立漱石山房記念館
「日本古典文学史」
場所 国文学研究資料館
期日 6月12日~9月16日
企画展
「あの人、こんな字 ! 」
場所 書道博物館
期日 6月27日~9月18日
特別展
「パリ・マグナム」
場所 京都文化博物館
期日 7月1日~9月18日
「沖縄の旧石器人と南島文化」
場所 大阪府立弥生文化博物館
期日 7月1日~9月18日
「すききらい、すき?きらい?」
場所 和歌山県立近代美術館
期日 7月8日~9月18日
企画展
「ちょっと昔のくらし」
場所 流山市立博物館
期日 7月15日~9月18日
企画展
「大政奉還を象った男 後藤象二郎」
場所 高知県立歴史民俗資料館
期日 7月15日~9月18日
企画展
「近江の城を掘る」
場所 安土城考古博物館
期日 7月15日~9月18日
企画展
「根付」
場所 都留市博物館
期日 7月15日~9月18日
「ことばらんどでたからさがし ! 」
場所 町田市民文学館
期日 7月15日~9月18日
特別展
「葛西善蔵」
場所 青森県近代文学館
期日 7月8日~9月18日
「怖い絵」
場所 兵庫県立美術館
期日 7月22日~9月18日
企画展
「国分寺の素人演芸」
場所 武蔵国分寺跡資料館
期日 7月29日~9月18日
「発掘された日本列島2017」
場所 八戸市埋蔵文化財センター
期日 8月5日~9月18日
企画展
「箱根を旅する人々」
場所 箱根町郷土資料館
期日 7月15日~9月19日
「植物を見つめて~多摩市の植物友の会35年のあゆみ~」
場所 パルテノン多摩
期日 7月15日~9月27日
「本物の世界を探検しよう ! 」
場所 リニア鉄道館
期日 6月10日~9月11日
募集
「わたしの漱石、わたしの一行」
募集期間 6月26日~9月15日
オープン
9月24日
新宿区立漱石山房記念館
「日本古典文学史」
場所 国文学研究資料館
期日 6月12日~9月16日
企画展
「あの人、こんな字 ! 」
場所 書道博物館
期日 6月27日~9月18日
特別展
「パリ・マグナム」
場所 京都文化博物館
期日 7月1日~9月18日
「沖縄の旧石器人と南島文化」
場所 大阪府立弥生文化博物館
期日 7月1日~9月18日
「すききらい、すき?きらい?」
場所 和歌山県立近代美術館
期日 7月8日~9月18日
企画展
「ちょっと昔のくらし」
場所 流山市立博物館
期日 7月15日~9月18日
企画展
「大政奉還を象った男 後藤象二郎」
場所 高知県立歴史民俗資料館
期日 7月15日~9月18日
企画展
「近江の城を掘る」
場所 安土城考古博物館
期日 7月15日~9月18日
企画展
「根付」
場所 都留市博物館
期日 7月15日~9月18日
「ことばらんどでたからさがし ! 」
場所 町田市民文学館
期日 7月15日~9月18日
特別展
「葛西善蔵」
場所 青森県近代文学館
期日 7月8日~9月18日
「怖い絵」
場所 兵庫県立美術館
期日 7月22日~9月18日
企画展
「国分寺の素人演芸」
場所 武蔵国分寺跡資料館
期日 7月29日~9月18日
「発掘された日本列島2017」
場所 八戸市埋蔵文化財センター
期日 8月5日~9月18日
企画展
「箱根を旅する人々」
場所 箱根町郷土資料館
期日 7月15日~9月19日
展示会のお知らせ 22 [城・館・チャシ・グスク]
お子様たちの夏休みの学習に関連ありますので、9月限のお知らせを前倒しむしています。
「鷹狩りと江戸時代の目黒」
場所 めぐろ歴史資料館
期日 7月4日~9月3日
「黄金の地と南の海から」
場所 町田市立博物館
期日 7月8日~9月3日
テーマ展
「古代の扉を開く」
場所 行田市郷土博物館
期日 7月8日~9月3日
企画展
「URUSHI」
場所 国立歴史民俗博物館
期日 7月11日~9月3日
企画展
「石とのかかわり」
場所 袖ヶ浦市郷土博物館
期日 7月15日~9月3日
「南極展」
場所 宮崎総合博物館
期日 7月15日~9月3日
特別展
「村野常右衛門」
場所 町田市立自由民権資料館
期日 7月15日~9月3日
「クイズで楽しむ新選組」
場所 新選組のふるさと歴史館
期日 7月15日~9月3日
特別展
「切手の国の探検隊」
場所 お札と切手の博物館
期日 7月11日~9月3日
企画展
「杉並で世界の昆虫」
場所 杉並区立郷土博物館
期日 7月15日~9月3日
企画展
「写真で見る多摩湖竣工90年」
期日 7月15日~9月3日
「夏のプラネタリュウム」
期日 7月25日~8月4日
場所 東大和市郷土博物館
コレクション展
「悉有仏性 Ⅱ」
場所 香雪美術館
期日 7月5日~9月3日
企画展
「浮世絵の世界と市川」
場所 市川歴史博物館
期日 7月16日~9月3日
収蔵品展
「江戸から昭和の津久井」
場所 相模原市立博物館
期日 7月22日~9月3日
特別展
「鬼物蒐集癖」
場所 日本の鬼の交流博物館
期日 7月22日~9月3日
テーマ展
「さわってあそぶおもちゃたち」
場所 草津宿街道交流館
期日 7月22日~9月3日
特別展
「オレたち夏のキラわれ者」
場所 府中市郷土の森博物館
期日 7月22日~9月3日
特別展
「雪村ー奇想の誕生」
場所 MIHO MUSEUM
期日 8月1日~9月3日
企画展
「ふしぎなふしぎな百人一首」
場所 国立公文書館
期日 7月22日~9月9日
春夏展
「やきもの巡り」
期日 4月26日~9月10日
茶道文化検定
検定日 11月5日
受付締め切り 9月21日
事務局 03-3233-4808
「ル・コルビュジエと前川国男」
場所 江戸東京たてもの園
期日 5月30日~9月10日
企画展
「発掘から見る城下町のくらし」
場所 小松市立博物館
期日 6月10日~9月10日
「鈴木久雄彫刻の速度」
場所 和歌山県立近代美術館
期日 6月14日~9月10日
「江戸城と立山曼荼羅」
場所 立山博物館
期日 6月27日~9月10日
テーマ展
「香川のお宝民俗資料蔵出し展」
場所 瀬戸内海歴史民俗資料館
期日 7月8日~9月10日
企画展
「いいからいいから」
場所 高知県立文学館
期日 7月8日~9月10日
特別企画展
「れきはく玉手箱」
場所 兵庫県立歴史博物館
期日 7月15日~9月10日
「松戸の古墳時代」
場所 松戸市立博物館
期日 7月15日~9月10日
「いたばしの歴史と民俗」
場所 板橋区立郷土資料館
期日 7月19日~9月10日
特別企画展
「昭和を生き抜いた女性たち」
場所 昭和館
期日 7月22日~9月10日
「きのこワンダーランド」
場所 千葉県立中央博物館
期日 7月22日~9月10日
「遥かなるルネサンス」
場所 青森県立美術館
期日 7月28日~9月10日
「鷹狩りと江戸時代の目黒」
場所 めぐろ歴史資料館
期日 7月4日~9月3日
「黄金の地と南の海から」
場所 町田市立博物館
期日 7月8日~9月3日
テーマ展
「古代の扉を開く」
場所 行田市郷土博物館
期日 7月8日~9月3日
企画展
「URUSHI」
場所 国立歴史民俗博物館
期日 7月11日~9月3日
企画展
「石とのかかわり」
場所 袖ヶ浦市郷土博物館
期日 7月15日~9月3日
「南極展」
場所 宮崎総合博物館
期日 7月15日~9月3日
特別展
「村野常右衛門」
場所 町田市立自由民権資料館
期日 7月15日~9月3日
「クイズで楽しむ新選組」
場所 新選組のふるさと歴史館
期日 7月15日~9月3日
特別展
「切手の国の探検隊」
場所 お札と切手の博物館
期日 7月11日~9月3日
企画展
「杉並で世界の昆虫」
場所 杉並区立郷土博物館
期日 7月15日~9月3日
企画展
「写真で見る多摩湖竣工90年」
期日 7月15日~9月3日
「夏のプラネタリュウム」
期日 7月25日~8月4日
場所 東大和市郷土博物館
コレクション展
「悉有仏性 Ⅱ」
場所 香雪美術館
期日 7月5日~9月3日
企画展
「浮世絵の世界と市川」
場所 市川歴史博物館
期日 7月16日~9月3日
収蔵品展
「江戸から昭和の津久井」
場所 相模原市立博物館
期日 7月22日~9月3日
特別展
「鬼物蒐集癖」
場所 日本の鬼の交流博物館
期日 7月22日~9月3日
テーマ展
「さわってあそぶおもちゃたち」
場所 草津宿街道交流館
期日 7月22日~9月3日
特別展
「オレたち夏のキラわれ者」
場所 府中市郷土の森博物館
期日 7月22日~9月3日
特別展
「雪村ー奇想の誕生」
場所 MIHO MUSEUM
期日 8月1日~9月3日
企画展
「ふしぎなふしぎな百人一首」
場所 国立公文書館
期日 7月22日~9月9日
春夏展
「やきもの巡り」
期日 4月26日~9月10日
茶道文化検定
検定日 11月5日
受付締め切り 9月21日
事務局 03-3233-4808
「ル・コルビュジエと前川国男」
場所 江戸東京たてもの園
期日 5月30日~9月10日
企画展
「発掘から見る城下町のくらし」
場所 小松市立博物館
期日 6月10日~9月10日
「鈴木久雄彫刻の速度」
場所 和歌山県立近代美術館
期日 6月14日~9月10日
「江戸城と立山曼荼羅」
場所 立山博物館
期日 6月27日~9月10日
テーマ展
「香川のお宝民俗資料蔵出し展」
場所 瀬戸内海歴史民俗資料館
期日 7月8日~9月10日
企画展
「いいからいいから」
場所 高知県立文学館
期日 7月8日~9月10日
特別企画展
「れきはく玉手箱」
場所 兵庫県立歴史博物館
期日 7月15日~9月10日
「松戸の古墳時代」
場所 松戸市立博物館
期日 7月15日~9月10日
「いたばしの歴史と民俗」
場所 板橋区立郷土資料館
期日 7月19日~9月10日
特別企画展
「昭和を生き抜いた女性たち」
場所 昭和館
期日 7月22日~9月10日
「きのこワンダーランド」
場所 千葉県立中央博物館
期日 7月22日~9月10日
「遥かなるルネサンス」
場所 青森県立美術館
期日 7月28日~9月10日
展示会のお知らせ 21 [城・館・チャシ・グスク]
まだ7月ですが、9月限のものにお子様たちの催しをやっているミュージアムがかなり
ありますので、9月限を続けます。
「関が原合戦 子ども学芸会」
場所 岐阜県博物館
岐阜県図書館
期日 7月21日~9月18日
「見て・聞いて・さわってみよう」
場所 ガスミュージアム
期日 7月21日~8月31日
「伝統芸能体験講座」
場所 八王子市学園都市文化ふれあい財団
申込みが必要です
芸術文化振興課 tel 042-621-3005
「歴史x妖x芳年」
場所 横浜市歴史博物館
期日 7月29日~8月27日
企画展
「世のちり洗う四万温泉」
場所 歴史と民俗の博物館
期日 7月1日~8月30日
「昭和レトロ家電」
場所 大坂くらしの今昔館
期日 7月29日~8月31日
企画展
「くらしの中のへび」
場所 羽村市郷土博物館
期日 6月3日~9月3日
特集展示
「隅田川の花火」
場所 すみだ郷土文化資料館
期日 6月10日~9月3日
企画展
「登呂発掘と静岡市の近現代」
場所 静岡市登呂博物館
期日 6月24日~9月3日
「絵画の舞台~〈黒書院〉一の間・二の間の障壁画~」
場所 二条城収蔵館
期日 6月27日~9月3日
「プータン」
場所 兵庫県立美術館
期日 7月1日~9月3日
企画展
「数字で発見 ! 広島城」
場所 広島城
期日 7月1日~9月3日
「わたしたちのたからもの展」
場所 くにたち郷土文化館
期日 7月1日~9月3日
親と子のギャラリー
「びょうぶとあそぶ」
場所 東京国立博物館
期日 7月4日~9月3日
企画展
「下町の学び舎」
場所 台東区下町風俗資料館
期日 7月4日~9月3日
特別展
「生きてる大地」
場所 岐阜県博物館
期日 7月7日~9月3日
企画展
「ディラノが成羽にやってきた ! 」
場所 高梁市成羽美術館
期日 7月8日~9月3日
企画展
「戦国あいちヒストリア」
場所 大府市歴史民俗資料館
期日 7月8日~9月3日
れきはく夏休みファミリープログラム2017
期日 7月22日~8月30日
特集展示
「楽器と漆」
場所 国立歴史民俗博物館
期日 7月11日~9月3日
特別企画展
「武器甲虫」
場所 豊橋市自然史博物館
期日 7月14日~9月3日
特別展
「神になったオオカミ~秩父山地のオオカミとお犬様信仰~」
場所 埼玉県立川の博物館
期日 7月15日~9月3日
特別展
「源信 地獄・極楽への扉」
場所 奈良国立博物館
期日 7月15日~9月3日
「魔法の美術館」
場所 大坂文化館・天保山
期日 7月15日~9月3日
「大昆虫博」
場所 いのちのたび博物館
期日 7月15日~9月3日
「チームラボアイランド学ぶ ! 未来の遊園地」
場所 長崎歴史文化博物館
期日 7月15日~9月3日
特別展
「トリックアート大江戸物語」
場所 愛媛県歴史文化博物館
期日 7月15日~9月3日
「ゴジラ展」
場所 名古屋市博物館
期日 7月15日~9月3日
企画展
「恐竜たちがやってくる ! 」
場所 長野市立博物館
期日 7月15日~9月3日
「ピーターラビット」
場所 東京富士美術館
期日 7月15日~9月3日
「ギガ恐竜展」
場所 幕張メッセ
期日 7月15日~9月3日
企画展
「野首遺跡出土品のすべて」
「雪と織物と信濃川 国宝火焔型土器」
場所 十日町市博物館
期日 7月22日~9月3日
特別展
「イメージの力」
場所 石川県立歴史博物館
期日 7月22日~9月3日
企画展
「クイズたいけん ! むかしのくらし」
場所 新潟県立歴史博物館
期日 7月22日~9月3日
企画展
「のぞいてみよう ! えのぐばこ」
場所 和歌山県立博物館
期日 7月22日~9月3日
特集展示
「伏見の戦い」
場所 京都国立博物館
期日 7月25日~9月3日
「メガ恐竜展2017」
場所 ATCホール
期日 7月25日~9月3日
企画展
「飛鳥路」
場所 飛鳥資料館
期日 7月28日~9月3日
特別展
「相応と良源 湖北の天文文化」
場所 長浜城歴史博物館
期日 7月29日~9月3日
「かがわ生命のミュージアム」
場所 香川県立ミュージアム
期日 8月5日~9月3日
特別展
「チョウきれい ! チョウたのしい ! 昆虫展」
場所 倉敷市立自然史博物館
期日 7月1日~9月10日
特別展
「天下人の城」
場所 徳川美術館
蓬左文庫
期日 7月15日~9月10日
ありますので、9月限を続けます。
「関が原合戦 子ども学芸会」
場所 岐阜県博物館
岐阜県図書館
期日 7月21日~9月18日
「見て・聞いて・さわってみよう」
場所 ガスミュージアム
期日 7月21日~8月31日
「伝統芸能体験講座」
場所 八王子市学園都市文化ふれあい財団
申込みが必要です
芸術文化振興課 tel 042-621-3005
「歴史x妖x芳年」
場所 横浜市歴史博物館
期日 7月29日~8月27日
企画展
「世のちり洗う四万温泉」
場所 歴史と民俗の博物館
期日 7月1日~8月30日
「昭和レトロ家電」
場所 大坂くらしの今昔館
期日 7月29日~8月31日
企画展
「くらしの中のへび」
場所 羽村市郷土博物館
期日 6月3日~9月3日
特集展示
「隅田川の花火」
場所 すみだ郷土文化資料館
期日 6月10日~9月3日
企画展
「登呂発掘と静岡市の近現代」
場所 静岡市登呂博物館
期日 6月24日~9月3日
「絵画の舞台~〈黒書院〉一の間・二の間の障壁画~」
場所 二条城収蔵館
期日 6月27日~9月3日
「プータン」
場所 兵庫県立美術館
期日 7月1日~9月3日
企画展
「数字で発見 ! 広島城」
場所 広島城
期日 7月1日~9月3日
「わたしたちのたからもの展」
場所 くにたち郷土文化館
期日 7月1日~9月3日
親と子のギャラリー
「びょうぶとあそぶ」
場所 東京国立博物館
期日 7月4日~9月3日
企画展
「下町の学び舎」
場所 台東区下町風俗資料館
期日 7月4日~9月3日
特別展
「生きてる大地」
場所 岐阜県博物館
期日 7月7日~9月3日
企画展
「ディラノが成羽にやってきた ! 」
場所 高梁市成羽美術館
期日 7月8日~9月3日
企画展
「戦国あいちヒストリア」
場所 大府市歴史民俗資料館
期日 7月8日~9月3日
れきはく夏休みファミリープログラム2017
期日 7月22日~8月30日
特集展示
「楽器と漆」
場所 国立歴史民俗博物館
期日 7月11日~9月3日
特別企画展
「武器甲虫」
場所 豊橋市自然史博物館
期日 7月14日~9月3日
特別展
「神になったオオカミ~秩父山地のオオカミとお犬様信仰~」
場所 埼玉県立川の博物館
期日 7月15日~9月3日
特別展
「源信 地獄・極楽への扉」
場所 奈良国立博物館
期日 7月15日~9月3日
「魔法の美術館」
場所 大坂文化館・天保山
期日 7月15日~9月3日
「大昆虫博」
場所 いのちのたび博物館
期日 7月15日~9月3日
「チームラボアイランド学ぶ ! 未来の遊園地」
場所 長崎歴史文化博物館
期日 7月15日~9月3日
特別展
「トリックアート大江戸物語」
場所 愛媛県歴史文化博物館
期日 7月15日~9月3日
「ゴジラ展」
場所 名古屋市博物館
期日 7月15日~9月3日
企画展
「恐竜たちがやってくる ! 」
場所 長野市立博物館
期日 7月15日~9月3日
「ピーターラビット」
場所 東京富士美術館
期日 7月15日~9月3日
「ギガ恐竜展」
場所 幕張メッセ
期日 7月15日~9月3日
企画展
「野首遺跡出土品のすべて」
「雪と織物と信濃川 国宝火焔型土器」
場所 十日町市博物館
期日 7月22日~9月3日
特別展
「イメージの力」
場所 石川県立歴史博物館
期日 7月22日~9月3日
企画展
「クイズたいけん ! むかしのくらし」
場所 新潟県立歴史博物館
期日 7月22日~9月3日
企画展
「のぞいてみよう ! えのぐばこ」
場所 和歌山県立博物館
期日 7月22日~9月3日
特集展示
「伏見の戦い」
場所 京都国立博物館
期日 7月25日~9月3日
「メガ恐竜展2017」
場所 ATCホール
期日 7月25日~9月3日
企画展
「飛鳥路」
場所 飛鳥資料館
期日 7月28日~9月3日
特別展
「相応と良源 湖北の天文文化」
場所 長浜城歴史博物館
期日 7月29日~9月3日
「かがわ生命のミュージアム」
場所 香川県立ミュージアム
期日 8月5日~9月3日
特別展
「チョウきれい ! チョウたのしい ! 昆虫展」
場所 倉敷市立自然史博物館
期日 7月1日~9月10日
特別展
「天下人の城」
場所 徳川美術館
蓬左文庫
期日 7月15日~9月10日
展示会のお知らせ 20 [城・館・チャシ・グスク]
8月限のお知らせは今日で終わりですが、夏休みを対象とした展示が9月の初めに
またがっているものもありますので、次回はそれらをお知らせします。
企画展
「長野県誕生」
場所 長野県立歴史館
期日 7月8日~8月28日
企画展
「人類と宇宙」
場所 山梨県立博物館
期日 7月15日~8月28日
企画展
「縄文の技と美」
場所 浅間縄文ミュージアム
期日 4月29日~8月31日
企画展
「生きもの情報」
場所 埼玉県立自然の博物館
期日 7月1日~8月31日
特別展
「興味津々゜ ! 深海魚」
場所 和歌山県立自然博物館
期日 7月21日~8月31日
「いわさきちひろ展」
場所 戦争と平和の資料館
期日 7月18日~8月31日
「おもしろびじゅつワンダーランド」
場所 サントリー美術館
期日 8月1日~8月31日
「新種発見 ! 昆虫冒険旅行」
場所 九州大学総合研究博物館
期日 8月15日~8月31日
またがっているものもありますので、次回はそれらをお知らせします。
企画展
「長野県誕生」
場所 長野県立歴史館
期日 7月8日~8月28日
企画展
「人類と宇宙」
場所 山梨県立博物館
期日 7月15日~8月28日
企画展
「縄文の技と美」
場所 浅間縄文ミュージアム
期日 4月29日~8月31日
企画展
「生きもの情報」
場所 埼玉県立自然の博物館
期日 7月1日~8月31日
特別展
「興味津々゜ ! 深海魚」
場所 和歌山県立自然博物館
期日 7月21日~8月31日
「いわさきちひろ展」
場所 戦争と平和の資料館
期日 7月18日~8月31日
「おもしろびじゅつワンダーランド」
場所 サントリー美術館
期日 8月1日~8月31日
「新種発見 ! 昆虫冒険旅行」
場所 九州大学総合研究博物館
期日 8月15日~8月31日
展示会のお知らせ 19 [城・館・チャシ・グスク]
いまだに原因不明の胸の痛みに悩まされています。胸の痛みと云っても老いらくの恋
ではありません。これではますます足腰が弱くなってしまいそうです。
企画展
「上諏訪温泉ものがたりーいで湯のまちの歴史と文化ー」
場所 諏訪市博物館
期日 4月29日~8月27日
「記憶を紡ぐ天沼弁天池があった頃」
場所 杉並区立郷土博物館分館
期日 4月29日~8月27日
所蔵資料展
「れきはくどうぶつえん」
場所 新宿歴史博物館
期日 5月27日~8月27日
特別展
「森の妖精ー不思議な生き物、粘菌」
場所 山形県立博物館
期日 6月10日~8月27日
「マイセンの美」
場所 兵庫陶芸美術館
期日 6月10日~8月27日
特別企画展
「今右衛門の色鍋島」
場所 愛知県陶磁美術館
期日 7月1日~8月27日
特別展
「空海と高野山の至宝」
場所 仙台市博物館
期日 7月1日~8月27日
特別展
「タイ」
場所 東京国立博物館
期日 7月4日~8月27日
特別展
「黄金のファラオと大ピラミット展」
場所 福岡市博物館
期日 7月8日~8月27日
企画展
「七夕と盆」
場所 仙台市歴史民俗資料館
期日 7月8日~8月27日
特別展
「アリスと大冒険ー3Dふしぎ博物館ー」
場所 山口県立山口博物館
期日 7月14日~8月27日
企画展
「つばさの博覧会~巨大翼竜からペンギンまで~」
場所 鳥取県立博物館
期日 7月15日~8月27日
企画展
「考古博の土偶」
場所 山梨県立考古博物館
期日 7月15日~8月27日
「海のビックリ生物展」
場所 沖縄県立博物館
期日 7月18日~8月27日
特別展
「越前若狭の医学史ーふくいの医人たちー」
場所 福井県立歴史博物館
期日 7月21日~8月27日
企画展
「田上てぬぐい」
場所 大津歴史博物館
期日 7月22日~8月27日
ではありません。これではますます足腰が弱くなってしまいそうです。
企画展
「上諏訪温泉ものがたりーいで湯のまちの歴史と文化ー」
場所 諏訪市博物館
期日 4月29日~8月27日
「記憶を紡ぐ天沼弁天池があった頃」
場所 杉並区立郷土博物館分館
期日 4月29日~8月27日
所蔵資料展
「れきはくどうぶつえん」
場所 新宿歴史博物館
期日 5月27日~8月27日
特別展
「森の妖精ー不思議な生き物、粘菌」
場所 山形県立博物館
期日 6月10日~8月27日
「マイセンの美」
場所 兵庫陶芸美術館
期日 6月10日~8月27日
特別企画展
「今右衛門の色鍋島」
場所 愛知県陶磁美術館
期日 7月1日~8月27日
特別展
「空海と高野山の至宝」
場所 仙台市博物館
期日 7月1日~8月27日
特別展
「タイ」
場所 東京国立博物館
期日 7月4日~8月27日
特別展
「黄金のファラオと大ピラミット展」
場所 福岡市博物館
期日 7月8日~8月27日
企画展
「七夕と盆」
場所 仙台市歴史民俗資料館
期日 7月8日~8月27日
特別展
「アリスと大冒険ー3Dふしぎ博物館ー」
場所 山口県立山口博物館
期日 7月14日~8月27日
企画展
「つばさの博覧会~巨大翼竜からペンギンまで~」
場所 鳥取県立博物館
期日 7月15日~8月27日
企画展
「考古博の土偶」
場所 山梨県立考古博物館
期日 7月15日~8月27日
「海のビックリ生物展」
場所 沖縄県立博物館
期日 7月18日~8月27日
特別展
「越前若狭の医学史ーふくいの医人たちー」
場所 福井県立歴史博物館
期日 7月21日~8月27日
企画展
「田上てぬぐい」
場所 大津歴史博物館
期日 7月22日~8月27日
展示会のお知らせ 18 [城・館・チャシ・グスク]
7月になりました。8月限のお知らせです。
企画展
「絵画から見た青梅のお寺」
場所 青梅市郷土博物館
期日 4月25日~8月6日
「技を極めるーヴアンクリーフ&アーベルハイジユエリーと日本の工芸」
場所 京都国立近代美術館
期日 4月29日~8月6日
企画展
「元気に九州 ! 」
場所 九州鉄道記念館
期日 6月7日~8月6日
特別展
「直虎から直政へ」
場所 江戸東京博物館
期日 7月4日~8月6日
特別展
「ネイチャーズベスト傑作写真展」
場所 日比谷図書文化館
期日 6月9日~8月9日
新収蔵資料展」
場所 渋谷区郷土博物館
期日 6月10日~8月6日
「漢字三千年」
場所 東北歴史博物館
期日 6月24日~8月11日
公開
「キトラ」
場所 奈良文化研究所
期日 7月15日~8月13日
企画展
「練馬区誕生への軌跡」
場所 練馬区立石神井公園ふるさと文化館
期日 6月24日~8月15日
企画展
「近世いわきの藩展Ⅳ」
場所 いわき市考古資料館
期日 4月19日~8月17日
企画展
「人権という希望」
場所 東京都人権プラザ
期日 7月8日~8月19日
特別展・震災復興支援
「新たな国民のたからー文化庁購入文化財展ー」
場所 一関市博物館
期日 7月15日~8月20日
巡回展
「長野県の遺跡発掘2017」
場所 長野県伊那文化会館
期日 7月29日~8月20日
速報展2017
「富山城外堀を掘る」
場所 富山市考古資料館
期日 4月26日~8月21日
「岡豊城跡に『櫓』が登場
場所 高知県立歴史民俗資料館(館の裏山が城跡)
期日 平成29年4月1日~平成31年2月28日
下は5年前行ったときの岡豊城と歴史民俗資料館の写真です
オープンしました
「鎌倉歴史文化交流館」
企画展
「絵画から見た青梅のお寺」
場所 青梅市郷土博物館
期日 4月25日~8月6日
「技を極めるーヴアンクリーフ&アーベルハイジユエリーと日本の工芸」
場所 京都国立近代美術館
期日 4月29日~8月6日
企画展
「元気に九州 ! 」
場所 九州鉄道記念館
期日 6月7日~8月6日
特別展
「直虎から直政へ」
場所 江戸東京博物館
期日 7月4日~8月6日
特別展
「ネイチャーズベスト傑作写真展」
場所 日比谷図書文化館
期日 6月9日~8月9日
新収蔵資料展」
場所 渋谷区郷土博物館
期日 6月10日~8月6日
「漢字三千年」
場所 東北歴史博物館
期日 6月24日~8月11日
公開
「キトラ」
場所 奈良文化研究所
期日 7月15日~8月13日
企画展
「練馬区誕生への軌跡」
場所 練馬区立石神井公園ふるさと文化館
期日 6月24日~8月15日
企画展
「近世いわきの藩展Ⅳ」
場所 いわき市考古資料館
期日 4月19日~8月17日
企画展
「人権という希望」
場所 東京都人権プラザ
期日 7月8日~8月19日
特別展・震災復興支援
「新たな国民のたからー文化庁購入文化財展ー」
場所 一関市博物館
期日 7月15日~8月20日
巡回展
「長野県の遺跡発掘2017」
場所 長野県伊那文化会館
期日 7月29日~8月20日
速報展2017
「富山城外堀を掘る」
場所 富山市考古資料館
期日 4月26日~8月21日
「岡豊城跡に『櫓』が登場
場所 高知県立歴史民俗資料館(館の裏山が城跡)
期日 平成29年4月1日~平成31年2月28日
下は5年前行ったときの岡豊城と歴史民俗資料館の写真です
オープンしました
「鎌倉歴史文化交流館」
江戸城の天守 [城・館・チャシ・グスク]
前回熱が下がったらと言うことで一週間後の6/2の検査でやはり狭心症の疑いが晴れず
精密検査が出来る病院を紹介され、6/5にその病院にいきました。
午前10時から色々な検査の結果やはりカテーテル検査をしたほうがいいと言われて、
早いほうがいいといわれましたが、来週は他の病院に予約が入っているし、再来週は
健康診断の予約が入っているからといったら先生に健康診断より自分の命のほうが
大事じゃないかと怒られ、健康診断の予約をキャンセルしまして、今週入院して検査
を受けました。結果から言うとGoodで検査だけで治療はしませんでしたので3日で
退院できました。
話では右手首の動脈からカテーテルを入れて検査するのですが、病室では看護士
さんに上半身は裸で手術着で下はパジャマのままでよいといわれたのですが、検査
台に上がったら緊急に備えて両足の付け根を消毒しますといってすっぽんぽんにさ
れます、そして消毒後胸から下はバスタオルをかけられその上から右手と顔以外に
ビニールのようなもので覆われます。
そして右手はバンドで固定されます、そして右手首に痛み止めの注射をしますが、
痛み止めは自分にはききませんでしたので、見ているわけでないので、自分の感覚
的ですが、手首に何かをぐいぐいと押し付けているようでした、何かが入っていくのを
感じたのは右肩のあたりと左胸のあたりでした。
検査が終わったら出血を止めるため手首にビニールのバンドを巻きその中に圧縮空気を
注入します、そのため痛みは感じませんが、とくに親指がしびれで感覚が鈍くなります。
検査後5時間くらいすぎてから、2時間おきに少しづつ空気を抜き翌朝までに全て抜き
ます。
検査後右手をついて起き上がったりものを強く握ったりしないようにいわれ、再出血の
場合退院が遅くなることがあると言われ右手を出来るだけ使わないように気をつけて
います。
下は今回入院した病院の一部ですが、ピント、アングルがずれていて見苦しい写真
になってしまいました。
この写真は病棟6階のベットから見えた外の景色で、上は昼間で下は夜の写真です。
左はベットの上の機器で右はロッカーですが、最近のロッカーは後ろに15センチくらいの
空間があり衣紋掛けがあります。
ロッカーの下のテレビは吊り下げられたアームで90度向きを変えられます。
その下に引き出し式のテーブル、その下は引き出しでその下は冷蔵庫になって
います。昔とくらべてだいぶ変ってきています。
これは点滴です、左の真ん中の黒い部分が、右の写真です。
最近のものは点滴も管理されているようで、量(トータル)、速さ(cc/sec)などが
記録できるようです。この点滴は入院した日の夕方から退院する日の朝まで
点滴されてました。
また、心電図の発信器も検査の時から退院の日の朝まで胸の左右上部と
左わき腹につけられていました。
次は病院で食べた食事は4回ですが、量は半分にしてもらったのですが、ちょうど
いい量でした。
写真の撮り方が悪いのでよくわかりませんが、上左は入院日の夕食、上右は検査日
朝食、検査日の昼は抜きなので、下左は検査日夕食右手が使えないので、おにぎり、
おかずはフォークがついてきました。下右は退院日の朝食はパンでした。
これは自分の右手です、黒くみえるところから空気を抜いていきます。
お見苦しい写真ばかりですみません。
ここからが今日のお話です。
江戸城の天守
下が天守の年表です。
天守は三度築造されています、そして二度解体されています。
1.徳川家康の慶長度天守
2.徳川秀忠の元和度天守
3.徳川家光の寛永の天守
です。
天守自体の大きさなどはあまり大きく変っていませんが、建てられた場所ははっきり
しないのです。
とくに元和度の天守については現在調査中です。
この絵図は正徳3年以降に描かれたとおもいます、何故なら矢印④に寛永度天守と
ありますが、この位置つまり北桔橋門にあるのは現在の天守台です。
それで矢印②の位置に慶長度天守と書かれてます。そして不思議なのは、慶長度天守と
寛永度天守がありますが、元和度天守が描かれていないことです。
慶長度天守
家康によって慶長11年に築造されました。場所は現在の位置より南の富士見多聞
あたりとあるので、矢印①のあたりではないかと思われます。これは多くの資料に富士見
多聞あたりとかかれてあるからで、この絵図では矢印②に慶長度天守と書かれてありますが、
この位置は西桔橋東の柚木門南側になりますので場所がちがいます。
この天守も家康没後6年で解体されています。理由については書かれてる文書がありません。
ので・・・。
写真左が富士見多聞のあった場所で右は説明板です。
元和度天守
二代将軍秀忠が元和9年に築造しています、しかしこの天守につていは資料がなく
場所についても矢印③の梅林坂あたりとしかかかれてありませんし、元和の絵図が
ないので確認できません。
梅林坂には徳川忠長(家光の弟)邸が元和度天守を築く妨げとなるとかかれています。
そう言い伝えられていたようです、榊原忠次は「御当家紀年録」でその経過を淡々と記録
にとどめ梅林坂のことも詳しくは話すことが出来なかったのではないかと思われる。
そして忠次は表に持ち出すことを禁じ忠次の死後120年たって、漸く幕府に献上
されました。
この天守も秀忠の没後5年で解体されています。
場所につていは、千代田区によりますと、慶長度と同じ場所とありますが、これは
寛永度と同じ場所だと思われます。
これについては、寛永度天守で。
寛永度天守
家光によって前天守解体の翌年の寛永15年に築造されました。
場所は矢印②の絵図では慶長とある場所だと思われます、寛永度江戸城内図
ではこの位置に寛永度天守が書かれてます。
「黒田続家譜」によりますと、「三代目天守は元和度天守の長短を変えてと書かれて
います、つまり元和と寛永の天守は小天守の一が90度変っただけです。
しかしこの文書も信憑性についていささか心配です、とう言うのはこの文書によれば
昔年、加藤肥後守清正、浅野紀伊守幸長に命じて築かしめらる、今春基台を改め
縦、横の長短を変えて新しく築へき由、忠之及び浅野安芸守光晟に命じ下し給ひ、
両人是を奉て経営せらるとあります、これによると元和と寛永の天守は場所はほぼ
同じで小天守を向きを変えたとあるので、この部分はいいのですが、元和の天守を
築造するころは加藤清正たちは生きていなかったのでは、清正の子忠広で幸長の
弟長晟だったと思われます。
この文書にもあるように昔年と言うように昔のことを思い出しながら書いている文書が
多いので時代の錯誤がかなりあります。
しかしこの寛永度天守も明暦の大火で焼失します、これも運悪く2階の窓が開いていた
からと言われています。
江戸城の天守台現在の焼けて黒くなっているのはそのときのものだと書いてある
本がありますが、天守が焼けるほどの熱に当時の石はぼろぼろになってしまう
そうです、なので現存の天守台は正徳3年の築造だとおもいます。
左が現在の天守台で右は説明板です。
左は裏からみた天守台で右はもっとさがって北桔橋門の外から見た天守台ですけ
この写真は昭和30年代当時は中にはいれませんが天守台の石垣は見えません
でした。
明暦の大火で焼け残った天守台は無残な姿だったろうとおもわれます、そこで、
万治元年天守台を築造しましたが、翌2年天守不再建が決定しましたので
天守台だけありましたが、大奥拡張のため正徳3年現在の位置に築造され
ましたが、文久元年に石垣を縮小して現在の大きさになりました。
その後文久3年の火事で本丸、二ノ丸などが焼失したときはの火事によって
いまの天守台が焼け跡が石垣に残っています。台の高さも縮小時に低くなって
ます。
上の年表矢印部が文久3年の火事です。
明治30年から大正12年まで本丸に気象台があり、天守台には風力計が設置されて
いました。
昭和42年東御苑として公開されました。
精密検査が出来る病院を紹介され、6/5にその病院にいきました。
午前10時から色々な検査の結果やはりカテーテル検査をしたほうがいいと言われて、
早いほうがいいといわれましたが、来週は他の病院に予約が入っているし、再来週は
健康診断の予約が入っているからといったら先生に健康診断より自分の命のほうが
大事じゃないかと怒られ、健康診断の予約をキャンセルしまして、今週入院して検査
を受けました。結果から言うとGoodで検査だけで治療はしませんでしたので3日で
退院できました。
話では右手首の動脈からカテーテルを入れて検査するのですが、病室では看護士
さんに上半身は裸で手術着で下はパジャマのままでよいといわれたのですが、検査
台に上がったら緊急に備えて両足の付け根を消毒しますといってすっぽんぽんにさ
れます、そして消毒後胸から下はバスタオルをかけられその上から右手と顔以外に
ビニールのようなもので覆われます。
そして右手はバンドで固定されます、そして右手首に痛み止めの注射をしますが、
痛み止めは自分にはききませんでしたので、見ているわけでないので、自分の感覚
的ですが、手首に何かをぐいぐいと押し付けているようでした、何かが入っていくのを
感じたのは右肩のあたりと左胸のあたりでした。
検査が終わったら出血を止めるため手首にビニールのバンドを巻きその中に圧縮空気を
注入します、そのため痛みは感じませんが、とくに親指がしびれで感覚が鈍くなります。
検査後5時間くらいすぎてから、2時間おきに少しづつ空気を抜き翌朝までに全て抜き
ます。
検査後右手をついて起き上がったりものを強く握ったりしないようにいわれ、再出血の
場合退院が遅くなることがあると言われ右手を出来るだけ使わないように気をつけて
います。
下は今回入院した病院の一部ですが、ピント、アングルがずれていて見苦しい写真
になってしまいました。
この写真は病棟6階のベットから見えた外の景色で、上は昼間で下は夜の写真です。
左はベットの上の機器で右はロッカーですが、最近のロッカーは後ろに15センチくらいの
空間があり衣紋掛けがあります。
ロッカーの下のテレビは吊り下げられたアームで90度向きを変えられます。
その下に引き出し式のテーブル、その下は引き出しでその下は冷蔵庫になって
います。昔とくらべてだいぶ変ってきています。
これは点滴です、左の真ん中の黒い部分が、右の写真です。
最近のものは点滴も管理されているようで、量(トータル)、速さ(cc/sec)などが
記録できるようです。この点滴は入院した日の夕方から退院する日の朝まで
点滴されてました。
また、心電図の発信器も検査の時から退院の日の朝まで胸の左右上部と
左わき腹につけられていました。
次は病院で食べた食事は4回ですが、量は半分にしてもらったのですが、ちょうど
いい量でした。
写真の撮り方が悪いのでよくわかりませんが、上左は入院日の夕食、上右は検査日
朝食、検査日の昼は抜きなので、下左は検査日夕食右手が使えないので、おにぎり、
おかずはフォークがついてきました。下右は退院日の朝食はパンでした。
これは自分の右手です、黒くみえるところから空気を抜いていきます。
お見苦しい写真ばかりですみません。
ここからが今日のお話です。
江戸城の天守
下が天守の年表です。
天守は三度築造されています、そして二度解体されています。
1.徳川家康の慶長度天守
2.徳川秀忠の元和度天守
3.徳川家光の寛永の天守
です。
天守自体の大きさなどはあまり大きく変っていませんが、建てられた場所ははっきり
しないのです。
とくに元和度の天守については現在調査中です。
この絵図は正徳3年以降に描かれたとおもいます、何故なら矢印④に寛永度天守と
ありますが、この位置つまり北桔橋門にあるのは現在の天守台です。
それで矢印②の位置に慶長度天守と書かれてます。そして不思議なのは、慶長度天守と
寛永度天守がありますが、元和度天守が描かれていないことです。
慶長度天守
家康によって慶長11年に築造されました。場所は現在の位置より南の富士見多聞
あたりとあるので、矢印①のあたりではないかと思われます。これは多くの資料に富士見
多聞あたりとかかれてあるからで、この絵図では矢印②に慶長度天守と書かれてありますが、
この位置は西桔橋東の柚木門南側になりますので場所がちがいます。
この天守も家康没後6年で解体されています。理由については書かれてる文書がありません。
ので・・・。
写真左が富士見多聞のあった場所で右は説明板です。
元和度天守
二代将軍秀忠が元和9年に築造しています、しかしこの天守につていは資料がなく
場所についても矢印③の梅林坂あたりとしかかかれてありませんし、元和の絵図が
ないので確認できません。
梅林坂には徳川忠長(家光の弟)邸が元和度天守を築く妨げとなるとかかれています。
そう言い伝えられていたようです、榊原忠次は「御当家紀年録」でその経過を淡々と記録
にとどめ梅林坂のことも詳しくは話すことが出来なかったのではないかと思われる。
そして忠次は表に持ち出すことを禁じ忠次の死後120年たって、漸く幕府に献上
されました。
この天守も秀忠の没後5年で解体されています。
場所につていは、千代田区によりますと、慶長度と同じ場所とありますが、これは
寛永度と同じ場所だと思われます。
これについては、寛永度天守で。
寛永度天守
家光によって前天守解体の翌年の寛永15年に築造されました。
場所は矢印②の絵図では慶長とある場所だと思われます、寛永度江戸城内図
ではこの位置に寛永度天守が書かれてます。
「黒田続家譜」によりますと、「三代目天守は元和度天守の長短を変えてと書かれて
います、つまり元和と寛永の天守は小天守の一が90度変っただけです。
しかしこの文書も信憑性についていささか心配です、とう言うのはこの文書によれば
昔年、加藤肥後守清正、浅野紀伊守幸長に命じて築かしめらる、今春基台を改め
縦、横の長短を変えて新しく築へき由、忠之及び浅野安芸守光晟に命じ下し給ひ、
両人是を奉て経営せらるとあります、これによると元和と寛永の天守は場所はほぼ
同じで小天守を向きを変えたとあるので、この部分はいいのですが、元和の天守を
築造するころは加藤清正たちは生きていなかったのでは、清正の子忠広で幸長の
弟長晟だったと思われます。
この文書にもあるように昔年と言うように昔のことを思い出しながら書いている文書が
多いので時代の錯誤がかなりあります。
しかしこの寛永度天守も明暦の大火で焼失します、これも運悪く2階の窓が開いていた
からと言われています。
江戸城の天守台現在の焼けて黒くなっているのはそのときのものだと書いてある
本がありますが、天守が焼けるほどの熱に当時の石はぼろぼろになってしまう
そうです、なので現存の天守台は正徳3年の築造だとおもいます。
左が現在の天守台で右は説明板です。
左は裏からみた天守台で右はもっとさがって北桔橋門の外から見た天守台ですけ
この写真は昭和30年代当時は中にはいれませんが天守台の石垣は見えません
でした。
明暦の大火で焼け残った天守台は無残な姿だったろうとおもわれます、そこで、
万治元年天守台を築造しましたが、翌2年天守不再建が決定しましたので
天守台だけありましたが、大奥拡張のため正徳3年現在の位置に築造され
ましたが、文久元年に石垣を縮小して現在の大きさになりました。
その後文久3年の火事で本丸、二ノ丸などが焼失したときはの火事によって
いまの天守台が焼け跡が石垣に残っています。台の高さも縮小時に低くなって
ます。
上の年表矢印部が文久3年の火事です。
明治30年から大正12年まで本丸に気象台があり、天守台には風力計が設置されて
いました。
昭和42年東御苑として公開されました。