お城のニュース 2 [城・館・チャシ・グスク]
尼崎城復興着工
築城400年に合わせて、2018年8月に完成予定です。
江戸中期の絵図などを基に外観復元の四重5階の天守に二重付櫓
2019年に築城400年を迎える明石城
記念事業実行委員会を設立しました。
姫路城三の丸御殿復元へ
復元に欠かせない立面図や写真の提供を呼びかけます。
募集は4月1日~来年3月31日までです。
天守の殿不在の謎 しゃちほこは全て雌?
何で平成の大修理から1年も経ってからの話題なのでしょうか、
それでこの姫路城と金のしゃちほこで有名な名古屋城の写真を載せてみましたが、
雄、雌で一対だそうですが、見分けられますか。
まず姫路城の鯱です。
下は展示してあった明治、昭和、平成の鯱ですが、一対の展示ではありません。
次は名古屋城の鯱です。
下は正門を入ったすぐ左に展示してある鯱ですが、一対ではありません。
天守にある鯱です。
天守閣の中に展示されている鯱ですが、これも一対ではありません。
熊本城飯田丸五階櫓復旧事業の御知らせ。
地震と戦い続ける城ーーー仙台城
これは以前にも書きましたが、行政の縦割りで、石垣の危険な状態が続いています。
松山城三の丸、藩主御殿跡
松山城の本丸はかなりの遺構があり、二ノ丸も整備されていますが、三の丸については
どこからどこまで、かよく判らないとおもいます。
写真左は二ノ丸口から見た三の丸で、右は三の丸がら見た二ノ丸石垣です。
2年前に発掘された石垣は伏見城の石垣ではなく大名屋敷か?
大洲城本丸のケヤキ伐採
ほかのお城でも問題になっていますが、石垣の上にある樹木は根がはると
石垣を崩す恐れがあります、実際には石垣の上には、櫓、多門、塀などで、
戦いを想定してますので、樹木はありませんでした、明治政府によって、建造
物は取り壊されました、その後石垣の上が殺風景なので、樹木を植樹したのが、
現在問題となっていると思われます。
高岡城跡の保存計画
高岡城でも保存計画のなかに、樹木の伐採が書かれてます。
川越城 本丸再現幻に
川越市が市制100年の目玉事業にと計画したのですが、平成元年に策定したのに、
なんだかやっていることがちぐはぐ、平成22年本丸御殿が復元はました。
しかし、平成元年の策定で市制100年つまり平成34年には費用がかかりすぎて、
出来ないとのことですが、実際には本丸御殿だけでした。
後五年で何をするのでしょうか。
1964年と昨年2016年とで市が本当に復元をする気があったのかはなはだ疑問
に思えます。下の写真は川越城今昔でもお話しましたことですが。
左は塀の後ろは校舎ですが、右の写真は御殿になってます。
左は旧御殿で、右は復元後の本丸御殿です。
これから下は復元後の川越城です。
復元した御殿ですが、御殿玄関の前がバス停で、右の写真は御殿の前に
駐車場だったり民家だったりと重要文化財とが区切りがないので、これでは、
文化財保護が困難では。
左はいまだに富士見櫓跡近くにある民家。右城址碑は御殿と博物館の間の
駐車場の前に新しく建てられてました。
左は博物館前に造られたレプリカの井戸、右は博物館の端に新しく建った蓮池門跡碑
です。
この中ノ門ですが、当時は櫓門でした、このようにちょっとだけのことで、城の復元と
市は五年後は何と言うのだろうか。
見せる石垣の起源探る 金沢城調査研究所
切石積みの基礎部分発掘
金沢城は昨年にも書きましたように、見せる石垣を城見学の目玉にしていました。
下がその石垣見学コースのパンフです。
で、金沢城調査研究所は石垣の確認調査に着手しました。
築城400年に合わせて、2018年8月に完成予定です。
江戸中期の絵図などを基に外観復元の四重5階の天守に二重付櫓
2019年に築城400年を迎える明石城
記念事業実行委員会を設立しました。
姫路城三の丸御殿復元へ
復元に欠かせない立面図や写真の提供を呼びかけます。
募集は4月1日~来年3月31日までです。
天守の殿不在の謎 しゃちほこは全て雌?
何で平成の大修理から1年も経ってからの話題なのでしょうか、
それでこの姫路城と金のしゃちほこで有名な名古屋城の写真を載せてみましたが、
雄、雌で一対だそうですが、見分けられますか。
まず姫路城の鯱です。
下は展示してあった明治、昭和、平成の鯱ですが、一対の展示ではありません。
次は名古屋城の鯱です。
下は正門を入ったすぐ左に展示してある鯱ですが、一対ではありません。
天守にある鯱です。
天守閣の中に展示されている鯱ですが、これも一対ではありません。
熊本城飯田丸五階櫓復旧事業の御知らせ。
地震と戦い続ける城ーーー仙台城
これは以前にも書きましたが、行政の縦割りで、石垣の危険な状態が続いています。
松山城三の丸、藩主御殿跡
松山城の本丸はかなりの遺構があり、二ノ丸も整備されていますが、三の丸については
どこからどこまで、かよく判らないとおもいます。
写真左は二ノ丸口から見た三の丸で、右は三の丸がら見た二ノ丸石垣です。
2年前に発掘された石垣は伏見城の石垣ではなく大名屋敷か?
大洲城本丸のケヤキ伐採
ほかのお城でも問題になっていますが、石垣の上にある樹木は根がはると
石垣を崩す恐れがあります、実際には石垣の上には、櫓、多門、塀などで、
戦いを想定してますので、樹木はありませんでした、明治政府によって、建造
物は取り壊されました、その後石垣の上が殺風景なので、樹木を植樹したのが、
現在問題となっていると思われます。
高岡城跡の保存計画
高岡城でも保存計画のなかに、樹木の伐採が書かれてます。
川越城 本丸再現幻に
川越市が市制100年の目玉事業にと計画したのですが、平成元年に策定したのに、
なんだかやっていることがちぐはぐ、平成22年本丸御殿が復元はました。
しかし、平成元年の策定で市制100年つまり平成34年には費用がかかりすぎて、
出来ないとのことですが、実際には本丸御殿だけでした。
後五年で何をするのでしょうか。
1964年と昨年2016年とで市が本当に復元をする気があったのかはなはだ疑問
に思えます。下の写真は川越城今昔でもお話しましたことですが。
左は塀の後ろは校舎ですが、右の写真は御殿になってます。
左は旧御殿で、右は復元後の本丸御殿です。
これから下は復元後の川越城です。
復元した御殿ですが、御殿玄関の前がバス停で、右の写真は御殿の前に
駐車場だったり民家だったりと重要文化財とが区切りがないので、これでは、
文化財保護が困難では。
左はいまだに富士見櫓跡近くにある民家。右城址碑は御殿と博物館の間の
駐車場の前に新しく建てられてました。
左は博物館前に造られたレプリカの井戸、右は博物館の端に新しく建った蓮池門跡碑
です。
この中ノ門ですが、当時は櫓門でした、このようにちょっとだけのことで、城の復元と
市は五年後は何と言うのだろうか。
見せる石垣の起源探る 金沢城調査研究所
切石積みの基礎部分発掘
金沢城は昨年にも書きましたように、見せる石垣を城見学の目玉にしていました。
下がその石垣見学コースのパンフです。
で、金沢城調査研究所は石垣の確認調査に着手しました。
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