建物の柱跡、溝を確認 山形城 [城・館・チャシ・グスク]
山形城三の丸跡の発掘調査が、山形市旅篭町一丁目で
進められている。(この山形城の二の丸、本丸は山形駅の
すぐ横にあるが、この三の丸は町のの中にあります)国道
112号の拡幅工事に伴い県が実施。山形四小飲む南に位
置する発掘現場では、作業開始から1週間が経過し、建
物の柱跡と思われる場所が深く掘られた様子を見ることが
できるようになった。
山形城は、斯波兼頼が14世紀中ごろに基礎を築き、16
世紀末までに最上義光が三の丸まで城域を広げた。家臣
を住まわせた三の丸は約1.6キロ四方で、江戸城をしのぐ
広さだったとされる。昨年11月の試掘で、土師器や須恵
器、近世陶磁器類が出土。柱の穴や溝などの遺構が確
認された。今回は、10月の末まで約1700平方メートルの
広さを調査する。
調査にあたる県埋蔵文化財センターの伊藤調査課長
補佐は「中国で造られた明銭が出た。1433年の鋳造で
、流通までの時間を考えると三の丸造営時期と遠くない
」と語る。民銭は室町時代の貿易で明から入った。伊藤
補佐は「城郭以前の奈良、平安時代の土器も出土して
いることから、その当時から人々の生活領域だったと分
かる」と話し、建物の痕跡を探したいとしている。
24日からは、三の丸の西側部分にあたる同市春日町
でも発掘調査が始まり、歴史に埋もれた山形城の解明
が期待される。
進められている。(この山形城の二の丸、本丸は山形駅の
すぐ横にあるが、この三の丸は町のの中にあります)国道
112号の拡幅工事に伴い県が実施。山形四小飲む南に位
置する発掘現場では、作業開始から1週間が経過し、建
物の柱跡と思われる場所が深く掘られた様子を見ることが
できるようになった。
山形城は、斯波兼頼が14世紀中ごろに基礎を築き、16
世紀末までに最上義光が三の丸まで城域を広げた。家臣
を住まわせた三の丸は約1.6キロ四方で、江戸城をしのぐ
広さだったとされる。昨年11月の試掘で、土師器や須恵
器、近世陶磁器類が出土。柱の穴や溝などの遺構が確
認された。今回は、10月の末まで約1700平方メートルの
広さを調査する。
調査にあたる県埋蔵文化財センターの伊藤調査課長
補佐は「中国で造られた明銭が出た。1433年の鋳造で
、流通までの時間を考えると三の丸造営時期と遠くない
」と語る。民銭は室町時代の貿易で明から入った。伊藤
補佐は「城郭以前の奈良、平安時代の土器も出土して
いることから、その当時から人々の生活領域だったと分
かる」と話し、建物の痕跡を探したいとしている。
24日からは、三の丸の西側部分にあたる同市春日町
でも発掘調査が始まり、歴史に埋もれた山形城の解明
が期待される。
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